現在、仏教総合誌『サンガジャパンVol.29 苦(ドゥッカ)』(サンガ 4月末発売予定)に掲載する、英国人比丘バンテ・ボディーダンマ師の原稿の構成を続けています。
バンテ師は欧州を代表するマハーシ式ヴィパッサナー瞑想の指導者の一人。一般の人だけでなく、欧州のマハーシ式の指導者を対象とした研修の講師もされています。雑誌ではインタビューとともに、2ヶ月に渡たる(マハーシ式)ヴィパッサナー瞑想合宿で毎朝行なわれた法話のなかで、瞑想中の「苦」に関するものを5本掲載します。
今日のブログでは、その中のほんの一部ですが、瞑想中に体に痛みを感じたときのポイントである体の知覚と、心の知覚の見分け、そして身体の痛みからくる苦しみ「苦苦(dukkha-dukkha)」に関するレクチャー部分を紹介します。
出家されて30年を越えるバンテ師ですが、在家時代は高校の先生だったこともあり、教え方も理論的でわかりやすと評判です。雑誌ではマハーシ式の実践者に限らず、広くヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスの実践者に参考になる、具体的な「瞑想の苦の処方」に関する法話を集めました。
なかなかイギリスのリトリートに参加することはできませんが、『サンガジャパンVol.29』で少しでも、そこでの学びや、闊達な空気に触れていただければ幸いです。
痛みを観察するとは、どういうことなのでしょうか。
まず、痛さへの反応としておこる「嫌!」という、反感に注目しましょう。そして「痛み」と、痛みに対する「反感」、この両方を観察します。ここでは、痛みや痛さそのものは体の感覚であり、「痛み・痛さ」としてラベリングされたものは心の知覚であるという、この違いに留意してください。同様にラベリングされた痛みへの反感も心の知覚であり、心に起こる現れです。
このようにして「痛み」と、その反応としての「苦(苦しみ)」を識別します。この身体の痛みからくる「苦」は、仏教では「苦苦(dukkha-dukkha)」と呼ぶ、苦痛を苦とする状態のことです。この「痛み」と「苦」を識別することは、とても大切です。そして、悟りに至ったときに消滅するのは、この二つのうちの「苦」の方だと言われています。
体がある限り、体の痛みは自然なこととして起こり続けることでしょう。しかし、「嫌!」という心の反応が消え始めると、「痛み」との新しい関係が始まります。痛みがあっても、完全に落ち着いた穏やかさの中に留まり続けることが可能になります。
心の平安と静けさが、痛みが私たちを苦しめているのではなかったことに、気づかせてくれるでしょう。痛みではなく、心の反応の仕方が「苦」をもたらしていたのです。
このような平静さが一旦生じれば、「痛み」を解剖するかのように詳細に吟味し、どんな性質から成り立っているのかを測り知ることができます。熱や圧迫感といった様々な特質を発見することでしょう。
それと同時にラベリングも、ますます洗練され、詳細になっていきます。「痛み、痛み、痛み……」から「緊張」、「熱」、「ちくちく」……というようにです。この過程において、私たちは「痛み」もまた、心で構築されたものであることに気づかされます。
実際のところ、「痛み」というものは存在しません。存在しているのは、これらの様々な身体的感覚だけです。そうして、「痛い」という感覚さえもが消滅していきます。
ヴィパッサナーのこの段階において、私たちは「無常」の真理をはっきりと気づきはじめます。あらゆる感覚が、一瞬一瞬に生じ、そして消え去っていきます。全てがつかの間に過ぎて行く一連のエネルギーでしかありません。
その時には、体の痛みは瞑想者にとって祝福となるでしょう。もちろん、自分から探し求めることはないのですが(笑)。
さあ、生じるどんな痛みや不快感も、最大限に利用しようではありませんか。今日というこの一日だけでも。それで充分です!