コマメディア 〜史上最弱の仏弟子コマメ〜

雑誌、書籍で活動するライター森竹ひろこ(コマメ)が、仏教、瞑想、マインドフルネス関連の話題を紹介。……最弱なのでおてやわらかに!

【告知】ニャーナラトー師「7月の法話と瞑想の会2023 律する(再び)」のお知らせ:7月1日(土)

 

【注意1】今月は土曜日の開催になります。

【注意2】受付完了のメールが届いていない方は、迷惑メールとして処理されていることが大変多いです。まずは、「迷惑メールフォルダ」などをご確認ください。

 

 英国アマラーワティー僧院にご滞在中のアチャン・ニャーナラトー師とオンラインでつながり、月例の「法話と瞑想の会」を開催します。

 
今月のテーマは前回に引き続き「律する」です。
 
師のメッセージをお読みのうえ、テーマに関する思いや質問、師へのご挨拶などありましたら、申込み時のアンケートにお書きください。
 
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アチャン・ニャーナラトー師からのメッセージ
 

律する(再び)

 

 

 今回は6月の法話会に続いて、「律する」を取り上げたいと思います。

 前回では以下のような点がありました。(必ずしも全てをきちっと整理したまとめではありませんが)

 

❶「律する」とは、欲望についてだけでなく、ネガティブな心に対してのものでもあり、生活のさまざま場面で関わるものです。

 実際に出会う個々の場面で「律する」とはどういう心のあり方、とらえ方をともなうのか、つまり、その時に心に生じる感じ(仏教で言うところの「受」です)とその周辺がキーポイントであることをお話ししたりしました。

 

 一方、大きな視点からの「律する」、つまり、「なぜ律する必要があるのか」「広くどのようなアプローチで望めばよいのか」といった面には多くは触れることができませんでした。

 いわば、個々の場面をミクロと言うとすれば、マクロの視点とでも言うのでしょうか。スマホ、飲酒等の問題、あるいは戒・戒律といったこともその中で語られることと言えます。

 

❷「律する」という言葉に対しては、苦手な人も、好きな人もあって、人それぞれに当たり前に違うということも触れました。

 

 それでも、抵抗感や堅苦しい感じを持ってしまいがちな中、この言葉に慣れることができて、必要かもしれない働きとして心のかたわらに置いておけるようになればいいなあという願いも語りました。

 

❸たとえ律すると言っても、心の持ち方として、やわらかく、おおらかに、安らいだ「今、ここで」というあり方を学ぶことは、やはり欠かせない、ということもお話ししました。

 

 

 いつもより短い時間の会であったせいもあって、いただいた問いやメッセージで取り上げることのできたものはとても限られたものでした。今回新たにいただくコメント、質問なども交えて、「律する」の「第2部」の会としたいと思います。

 もちろん、前回に参加された方だけでなく、初めての皆さんや前回参加されなかった方にとっても、無理なくご一緒いただけるように時間でありたいということに変わりはありません。

 

 前回で気づかれたこと、感想、あるいはその後の時間の中でのご経験、思いなど、そして、新しくこのテーマに出会われる方のお気持ち、お声など、皆さんのメッセージを拝見できるのをたいへん楽しみにしています。

 

 なお、前回へのメッセージも、「律する」に対する当初の導入の言葉として、以下に再掲しておきます。

 

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(前回のメッセージの再掲)

 

「律する」

 

 修行や学びのプロセスにおいて、あるいは普段の生活を進める上で、その骨組みを支えるものとして、「律する」という心の働きのあることをとらえ直してみたいと思いました。

 

 役割や責任を果たす、約束やルールを守る、目的に向かって行動する——、そんな時、いろいろな思いや気持ち、衝動さえも生じるのが私たちの傾向であり、時に問題となってしまう中で、「律する」とは私たちの言行を正しく守り、導く心の働きと言えるかもしれません。

 また、健康管理とかスマホとの関係など、普段の生活の場面でも、「律する」ことの関わる状況は少なくないように思われます。

 

 しかし、当たり前にこのテーマに関心が向かうタイプの人もある一方、「律する」という言葉は、ひょっとすると、硬い、さらにはきびしい印象があってしまう、苦手な言葉で、できれば避けたいというのも本音であったりするかもしれません。

 「自由、愛、受容、許し、といったものこそを求めているのに、今さら『律する』などいう言葉などを聞かされたくない」という内なる声に出会うこともあるでしょう。

 

 「律する」という言葉が持つかもしれない、「縛り付けられる」ような印象はどこから来るのでしょうか。

 「律する」とはどういうことなのか、なぜ必要なのか、何に気をつければいいのか、どういうとらえ方で取り組めばいいのか、いろいろと気になります。

 

 この言葉に関連してのご経験や思い、疑問などのメッセージをいただく中で、「律する」ことをあらためて自覚し、理解を深めることができたらと願っています。

 

 

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日時 2023年7月1日(土)

   15:30〜18:30 (最大延長19:00)

 

内容  法話、瞑想実践など


参加費 無料

・アクセスに必要なURLは、申込み受付のメールでお伝えします。 

 

【重要】質問やメッセージを書かれる方へ、大切なお願い

・申し込み時の質問やメッセージを後から加筆修正したり、あらたに追加した方は、必ず事務局までご連絡ください。ご連絡がない場合は「こくちーず」のシステムの関係上、申し込み時の状態で師に伝わることがあります。

・参加の申込みは当日まで受付けていますが、質問(加筆修正も含む)はできれば開催日の3、4日前には記入されると、多忙な師が回答を吟味する時間が比較的持てます。質問をする方は、日にちに余裕を持って申込むことをお勧めします。

 

申込み、お問合わせ  

 当日の午前10時まで、申込みを受付けます。

ニャーナラトー師「7月の法話と瞑想の会2023 律する(再び)」 2023年7月1日 - こくちーずプロ

 

主催 「法話と瞑想の会」事務局  
 
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アチャン・ニャーナラトー師 プロフィール

 

本名:中尾茂人(なかお・しげひと)

1958年、奈良県生まれ。

京都大学医学部卒業後、精神的な探求のためアジアを旅し、

タイのワット・パー・ナーナーチャート(国際森林僧院)で1986年サーマネーラ(沙弥)出家、

翌年具足戒を受けて比丘出家する。

タイのアチャン・チャー師系列の寺院で修行後、

2001年からイギリスのアマラーウァティー僧院に移り、

自身の修行と後輩僧侶の指導のかたわら、

欧州各国や日本に招かれ一般に向けての法話会や瞑想会でも指導されている。

 
 2016年7月 NHKラジオ「宗教の時間」出演

仏教総合誌 「サンガジャパン20号」にロングインタビュー掲載

 

 

申込み、お問合わせ  

 当日の午前10時まで、申込みを受付けます。

ニャーナラトー師「7月の法話と瞑想の会2023 律する(再び)」 2023年7月1日 - こくちーずプロ