9月7日(火)、サンガ新社設立記念オンラインセミナーの第1回、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老と、評論家の宮崎哲弥さんの対談「仏教の力」に参加した。
久しぶりに拝見する宮崎さんは、手に数珠を持ち、いつもより穏やかに感じられた。
ゴータミー精舎からの配信で、長老も落ち着いてリラックスしたご様子のよう。コロナ禍の現在を「なんで無常を楽しまないのか。2年前の日本とは違う、変化を面白いと思えばいくらでも楽しめる」と喝破される。
今回の対談のベースには「無常」が流れていた。
来年、還暦を迎える宮崎さんは、最近物忘れがひどくなったそうだ。
それに対して長老は、「私も忘れっぽいけど、それを楽しんでいます」と笑顔で答える。3階から1階に降りてきて何をするために降りてきたのか忘れても、忘れたことを楽しむ、面白がる。
私も年々、記憶の衰え、特に脳の検索力の衰えを痛感している。この世は無常だから、そして誰もが必ず老いるのだから、記憶力や認知力をピークのまま維持し続けることは不可能だ。でも、それを嘆くこともできるが、面白がることだってできる。
仏教の凄さは、どんな状況であろうと楽しく穏やかに生きていける智慧、「今ここ」で幸せになれる智慧を提示しているところでもあるのだなぁ。
対話は宮崎さんが質問を投げかけるスタイルで進んだ。
「この時期は、ずっと成長し続けるという傲慢さを反省するチャンス?」「一時的ではない、真の幸せとは?」「なぜ人は、永遠の命を求めるのか?」……
やがて、「長老ご自身は、死が怖くないのですか?」という直球の問いへ。
それに対する長老のお話しの中で、「死ぬことが怖いのではなく、ゴミを捨てたくないだけ」「自分のものではないものを捨てたくない愚か者が、死を怖がる」といった言葉がガツンときた。長老は自分の体、家、家族、そして思考でさえ、全く自分のものではないと言われる。
私には死に対する、強い恐怖がある。
もう少し具体的に言えば、死に向かう時に起こるであろう肉体的な苦痛に恐怖している。でも、その痛みは自分のものだろうか?
否! 瞑想を続けることで何度も痛みからの離脱を経験して、そうでないことは体感済みだ。なのに、今だ肉体の苦痛への恐れを握りしめている。長老は「幻覚をなくせ」と言われるが、この幻覚は相当に根強いのだろうなぁ。
その後も対談の話題は、修行や物語、『ドラえもん』と多岐にわたった。
最後に宮崎さんは「ごまかしのない現実をたんたんと見守るところから始める仏教は、コロナに対して最も本質的なところから提言できるのではないか」と指摘。
そして長老は「死なないように頑張って生きてみる、でも必ず負けるプログラムだから」と軽やかに言われる。
私たちは病も死もすでに組み込まれているプログラムを生きているが、それを苦しんで生きるか、明るく軽やかに生きるかは選択できる。現実をありのままに観ていく「仏教の力」は、その助けとなるだろう。
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自分の抱えている問題を、仏教の視点からあぶり出されたよき1時間半でした。
仏教をベースに置くサンガ新社さんの第一回セミナーにふさわしい対話会だったのではないでしょうか。
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