発売中の月刊『教育ジャーナル 4月号』(学研)に、プラユキ・ナラテボー師の6ページに渡る、読み応えのあるインタビューが掲載されています。
『教育ジャーナル』は”子どもたちの喜びを第一に考える教師のための”月刊情報誌。インタビューの話題も読者の関心に合わせて、師の学生時代から出家の経緯にはじまり、いじめや自殺問題から、子どものとの関わり方まで広く取り上げられています。
聞き慣れた仏教用語も、教育や子育ての視点から説かれるとまた新鮮で、さらに理解を深めてくれます。
プラユキ師の言葉を、いくつか紹介します。
仏教では「無明」といいますが、「見ないこと」が苦しみの根本原因として位置づけられています。ちゃんと向き合うということ、これは信頼していくということでもあるのですが、あるがままに心を開いて向き合っていくということは、私たちにとって意外と難しいですよね。評価しないで、その辺の受け止めができるかどうかがカギになります。
いじめた方も、つらい思いから悪さをしてしまうのですが、本気で向き合ってジャッジせず、「つらかったね」という感じで受け止めてあげられれば、違った発散の仕方もできると思いますが、先生も、親も、怖がってしまったり、ただ悪い子だというように裁いたりしてしまうと、うまくいかないですよね。
「”よき縁にふれ、よき縁となし、よき縁となる”」が仏教のすべてだよ」と言うことがあります。「よき縁にふれ」とは、よき出会いを求めること。また、ネガティブな情報ばかり拾うのではなく、成長できるようなよい情報や場にふれるということです。
「よき縁となし」というのは、どんな出会いも生かせる力を培うこと。瞑想はそうした力も培える、すばらしい心のトレーニング法といえます。最後の「よき縁となる」は、子どもたちへの可能性を信頼し、見守って引き出してあげる。自分自身が子どもたちのよき縁、よい環境になってあげるということですね。
仏教を日常に生かすヒントがつまったプラユキ師のインタビューが掲載された、月刊『教育ジャーナル』(学研)は書店でも販売しています。見かけたら、手に取ってみてください。