昨日の10月3日は、「森のイスキア」佐藤初女さん(1921~2016)の誕生日でした。
「日本のマザー・テレサ」とも言われる初女さんは、
人生に行き詰まり迷う人たちのために「おむすび」をつくり、
共に食卓を囲み、寄り添い……初女さんと出会い、多くの人が生きる力を取り戻していきました。
その初女さんの誕生日に、
生前、交流のあった女性の仲間たちが「いのちのエール2019 初女おかあさんから娘たちへ」を企画開催し、私はおむすび講習会に参加しました。
いのちのエールHP https://201931.webnode.jp
会場の吉祥寺「アトリエ間間」には、写真家の田淵睦深さんが撮影した初女さんの写真が展示されていました
おむすび講習会の講師の山崎直(やまざき、すなお)さんは、
初女さんのサポートをしながら一番身近で学んできた人。
初女さんはご飯の洗い方、炊き方から大切にされていたそうで、
その段階から、実際の作業をみながら学ぶことができました。
お米の浸水具合にも心をくばり、実際に洗った米をみせて「あと2分ほど浸水させます」と細やかな指示も。
7割浸水したところで炊き出すのがポイントで、そうするとお米自身が立ち上がるそう。
「悩んでいる人を、その人が立ち直るまでじっと見守っている初女さんと重なります」と山崎さん。
写真のおむすびは、森竹がむすんだものです
実際に作業をされながら説明を受けたあとは、
山崎さんのアドバイスを受けながら、2人ずつおむすびをつくりました。
ギューギューと力を込めて「にぎる」のではなく、
中に空気をはらむようにふんわりと「むすぶ」。
初女さんのおむすびは三角ではなく、丸型。
圧を加えるのは、あるポイントだけ(ここは、ぜひ各地で開催されている山崎さんの講習会に出て、初女さんの息吹を感じながら確認してください)。
食べるときは崩れずに口にふくむとホロホロほどけていき、
一粒一粒を感じ、一つ一つの命をいただくような感覚になる。
ただ食べているだけで、自然と食べる瞑想になるおむすび。
今までの、おむすびに対する概念が変わりました。
ところで、現代はお米の精米技術が進み表面に糠やゴミの付着が少ないことから、
初女さんは「米を研ぐ」と言わずに「米を洗う」と表現されたそう。
両手で丁寧にこすり合せて洗う姿は、祈る姿にも見えます。
初女さんは敬虔なクリスチャンで、「森のイスキア」でも十字架を掲げて毎日祈られ、
「日々の暮らしが祈りです」と伝え続けたそうです。
初女さんにとって十字架の前で祈るのも、日々の暮らしも同じ次元のことだったのでしょう。
これは、すわって瞑想するときだけが特別なのではなく、日常を瞑想的に生きる(マインドフルに生きる、行住坐臥など様々な表現がありますが)こととも通じるのではないのでしょうか。
もちろん、キリスト教も仏教も同じだと、粗いことを言うのではありません。
でも、貪瞋痴と離れたとき、あるいはキリスト教の文脈ではエゴと離れたときに立つ地平は、
案外、地続きなのかもしれません。
……………………………………………………………………………………
another story1
この日は、会の代表呼びかけ人の作家・田口ランディさんの誕生日でもありましたが、
裏方に徹し、おいしい味噌汁を作ってくださいました。
仏教瞑想の界隈でも、
自分の誕生月に無料の自主瞑想会を開催することが、しのさんから始まりました。
ご本人は意識されていないかもしれませんが、
誕生日に利他の行為をするのは、
その人の持っていたよき縁(善業)の表れであり、
それを周りの人に広げていくよき機会かもしれません。
another story2
初女さんはクリスチャンですが、山崎さんは坐禅の実践者です。
あの、伝説の禅僧・村上光照老師ともご縁があり、
スワリノバで老師の「こころの時代」の鑑賞会をしたときの映像も、
山崎さんからお借りしたものです。
老師におむすびをお出ししたら、普通、老師の年代の方だと2個で一杯になるところ、
3個も食べられたそう!(完全に余談ですね……、でもファンには貴重な老師情報ということで😄)