昨日(7月20日)は、イエズス会無原罪聖母修道院で行なわれた、柳田敏洋神父ご指導の、キリスト教的ヴィパッサナー(合宿経験者クラス)に参加しました。
この日は、
・呼吸をベースに体の感覚、思考や感情に気づく瞑想(基本的ヴィパッサナー瞑想)
・歩く瞑想
・食べる瞑想
・ありのままに聞く瞑想
・ありのままに見る瞑想
さらに新しいチャレンジとして
・マインドフルネス・コミュニケーション
などを実践しました。
キリスト教的ヴィパッサナーの大きな特徴は、伝統的な仏教のヴィパッサナー瞑想は悟りや涅槃を目指すのに対して、「アガペー(愛)の人になる」ことを目指し、そのための文脈に再構築されているところでしょうか。
柳田神父の指導も、瞑想の境地ではなく、瞑想を通して気づきや洞察を深めることにより、それを日常での在り方や、人との関わり方に生かしていくことに重点をおかれているように感じました。
また、キリスト教には、黙想や霊操など豊かな実践の伝統がありますが、そういった要素も取り入れられているのが興味深かったです。
たとえば、マインドフルネス・コミュニケーションでは、互いに自分の体験や考えをシェアする前に、数分間一人でそのことについて静かに考える時間を持ちました。私はこれが、とても黙想的に感じましたが、この時間のおかげでシェアがより深くなったようです。
ところで、「愛の人になる」と聞くと、優しく思いやりのある人といった、フワッとしたイメージを持つかもしれせんが、柳田神父は「無償、無条件の愛に生きる」ことだと解説されます。
それは、仏教の無我や、無分別とも通じること。違う道を歩いていても、最終的に行き着く場所は、案外近いのかもしれません。