先日(6月30日)、タイで出家された日本人僧、プラユキ・ナラテボー師の「アーナパーナサティ・スッタ実践講座」のおさらい会が終了し、昨年の9月から始まった講座が完結を向かえた。
仏教瞑想のテキストとも言われる「アーナパーナサティ・スッタ(出入息経)」は、私にとって瞑想実践の基本としている経典だ。
仏教瞑想を始めたころは、日本ではこの経典にそって指導される人もなく、ラリー・ローゼンバーグの『呼吸による癒やし』(春秋社)と、(直接この経典の順番にそっているわけではないが)アリンナ・ワイスマンとジーン・スミスの共著『やさしいヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)が貴重なテキストだった。
どちらも、瞑想修行と指導を長年続けた西洋人が、宗教をこえて現代人に向けて書かれている。そのため、テーラワーダの価値観、文化のなかで育ってきた仏教国の比丘による解説書に比べて、テーラワーダの教えに不慣れだった自分の肌に合っていた。
特に、日常生活や人間関係にも言及しているところには共感した。そして、今も読みかえすたびに共感が深まる。現代社会で在家として瞑想を続ける私が、始めのころにこの2冊と出会ったのは、バランスよく実践を続けていくうえで、とても幸運だった。
その後、小池龍之介住職のもとで3年間(2010〜2012)かけて、この経典に基づいて瞑想実践をする集まりに参加した。これは、自分にとっては得がたい瞑想体験や気づきに満ちた、濃密でなかなか幸せな3年間だった。
しかし、ご住職が後に「あれはスパルタすぎましたね(にっこり)」と振り返るほど、多くのメンバーにとってはハードな会だったようだ。開始時は30人以上いたのが、最後の頃には毎回5人前後しか参加しなくなっていた、と言えば想像がつくだろうか。
この会は1回限りで、その後は開催されていない。現在の住職の活動とは、主旨が離れたところもあるのだろう。
その後、プラユキ師が月刊『大法輪』(大法輪閣)で、この経典の解説の連載がはじまり、いつかは師が講座を開かれたら、ぜひ受講したいものだと思っていた。
でも、まずは師がメインで修行され、他の瞑想に比べて安全性が高く、日常での抜苦与楽の効果がすぐに実感できる手動瞑想をはじめとするチャルーン・サティ(気づきの開発瞑想)を優先していただきたい。
私もチャルーン・サティを軸にした瞑想会をお世話してきた。
しかし、最近は師の瞑想会を開催する世話人や団体も増えてきたため、以前からの念願の「アナパナ講座」の開催を打診し、師は快諾くださった。
そうして始まった昨年9月の第0回目は、「こんなマニアックな会、20人も参加してくれたら、ありがたいな」という予想を大きく外れ、80人を越える参加者が次々に来場された。後から後から椅子を補充しても間にあわない。当日、自発的に受付けや開場整理をしてくれた皆さんには、とても感謝をしている。
その後、11月から2ヶ月に1度、4回かけて経典にそって「身体」「感受」「心」「法」の四つを対象とした洞察瞑想の解説と指導をしていただき、先日の全ての洞察瞑想を一日かけて行なう「おさらい会」で一応完結とした。
プラユキ師のアナパナ瞑想の指導は、まずは禅定をつくってから洞察に入る、敷居の高いやり方ではない。初心者でもすぐに取り組めてその人なりに気づきが得られ、経験者にはより深い洞察へと導くものだった。
そして、経典の内容を瞑想のハウツーのレベルに留めず、日常をよりよく(楽に)生きる教えへと結びつける。涅槃や悟りという言葉を直接使わないが、「とらわれから自由になる」「気づいて生きる」といった表現で、豊かにそれを語っている。
また、経典の解説では十二因縁、無我、貪瞋痴など仏教の基本ワードをまじえて理論的な理解を即し、仏教入門講座としても秀逸だった。
1回で終わるには、あまりにももったいない充実した講座。多くの参加者からも継続のリクエストをいただいた。私もさらに学びを続けたい。
タイからのご帰国後、さっそくプラユキ師にお願いしてみよう。