昨年、雑誌の取材で「アップデートする仏教を体感しよう」会に参加した時に、様々な宗派のお坊さんと話す機会がありました。話題は日本仏教の現状の危機感から、信仰に対する思いまで多岐に渡りましたが、そのなかで驚いたのは般若心経の解釈は宗派によって違う、ということでした。
さらに最近、みうらじゅんさんの異色の写経本『アウトドア般若心経』(幻冬舎)を担当した編集さんに、本の制作にあたって宗教学者の正木晃先生から、般若心経のインド的、チベット的、中国的、そして日本的な解釈のレクチャーをみうらさんと二人で受けたことをお聞きして、さらに興味がふくらみました。こんな短いお経なのに、日本の各宗派どころか、世界中でいろんな捉え方をされて読まれているとは!
そんな中、寺社フェス『向源2016』で、若手僧侶による「いろんな宗派で般若心経トーク 〜仏教井戸端会議*1in向源」が開催されることを知り、さっそく参加してみました。
『向源2016』
いろんな宗派で般若心経トーク 〜仏教井戸端トークin向源
日時 2016年5月5日(木) 12:00〜15:00
場所 浄土宗大本山増上寺 増上寺会館 光摂殿
参加費 2,000円(オリジナル向源ハンカチ付き)
【登壇者(五十音順・宗派)】
池口龍法(浄土宗)
伊藤竜信(浄土宗)
加賀俊裕(真言宗)
細川晋輔(臨済宗)
吉村昇洋(曹洞宗)
渡邉弘範(真言宗)
司会
増田将之(仏教井戸端トーク主宰 浄土真宗)
横川広幸(仏教井戸端トーク事務局 登壇者中、唯一の在家 仏具屋さん)
前半
会場は増上寺の大ホールの光摂殿。若手僧侶が中心となって運営する「向源」のイベントだけに、参加者は20〜30代も多く、「般若心経が初めての人」という質問には、3割以上の人が手をあげていました。
トークは自己紹介をまじえて般若心経への思い出を、一人一人が語るところからスタート。さらに、各宗派における「般若心経」の関わり方を紹介しつつ、人気(?)の理由を探ります。
その中でも面白かった話題を、いくつか紹介します。
・読経時に区切る場所も、宗派や個人によって異なる。内容に合わせて区切る宗派もあれば、リズム感重視で区切る宗派もあり。
・浄土真宗が般若心経を読まない、理由のいくつか。
1.占いや呪いの類いはしないので、「ギャーテー〜」の部分が呪文に当たるため。
2.阿弥陀仏の一仏を本尊とするが、観自在菩薩(観音様)が登場するため。
・密教では「ギャーテー〜」の部分だけでなく、般若心経全体が呪文的な意味合いも持っている。(浄土真宗とは逆に、そのために大切にされる側面もあり)
・神道でも唱えることがある。その場合は冒頭の「仏説 摩訶般若波羅蜜多心経」の「仏説」は省く。
後半
休憩をはさんで後半は、池口龍法さんのわかりやすく噛みくだいた解説をまじえながら、「空」や「般若(修行で得られた智慧、悟り)」といったお経の本質へと踏み込みます。とはいえ、みなさん難しい教義や仏教用語は最低限にして、仏教の知識がない人も理解できる日常的な言葉で説かれていました。
例えば司会者が「空」のわかりやすい説明を求めた時は、こんな感じです。
まず、臨済宗の細川晋輔さんが口火を切りました。細川さんのおじい様は、仏教書初のベストセラーとなった「般若心経入門」(祥伝社 1972年)を著した松原泰道禅師。細川さんも子どものころから「般若心境」をスラスラと諳んじ、小学校ではクラスで飼っていた生物が死ぬと、自分のクラスだけでなく上級生のクラスにも呼ばれて読経をしたそうです。
そんな「般若心経」の申し子(?)のような細川さんでも「『空』がわかるのは、悟りに近いところにいってからなので、説明するのは難しい」と言われます。それでもあえてわかりやすく言葉にするなら「充実したゼロが『空』と言えるかな」と投げかけました。
それを受けて真言宗の加賀俊裕さんも、「実体がない『空』を語りつくすのは難しい」と強調されます。
さらに、私たちが実体があると思っている、感覚器官(眼耳鼻舌身)を通して受け取ることができるものでさえ「空」であると説明。そのうえで、「それでも仏教の関係性のなかで成り立つ場が、『空』ではないでしょうか」と慎重に話されました。
続いて、食事や掃除など日常の行為を通して心を整え、丁寧に生きることの大切さを多くのメディアで伝えている、曹洞宗の吉村昇洋さんです。(コマメディア的には、臨床心理士の資格を持つ仏教マンガ研究家としての活動にも、注目しています)
まず吉村さんは、仏教学者の佐々木閑先生の、仏説の「空」と、大乗の「空」は違うという説を紹介。お釈迦様の(南伝仏教でいわれているところの)説はロジカルで納得しやすいけれど、佐々木先生はそうやって理解したことすらも無いとする「空」を、大乗の「空」とされているそう。
その説を受けて吉村さんは、「分析して理解できることが全てではありません。なぜ私たちの腕は内側に曲がるのか、なぜ人間の存在があるのか、そういったことは誰も説明できません。”そういうふうにできている”としか言いようがない。それが「空」ではないでしょうか」と問いかけました。
そして、サプライズ・ゲストとして参加された、フリーマガジン「フリースタイルの僧侶たち」の発足人でもある浄土宗の池口龍法さんは、自我という視点から「空」を語ります。
自我が小さくなると世界が広がって、自分と他人を分けずに、物質的なだけでなく心までつながっている状態になるそうですが、池口さんはそのところまでを「空」ととらえていると話されました。「本質的には私としては充実感や、ぬくもりがあることが大切。それが心の中の『空』ではないかと思います」
最後に細川さんが、宗教と学問は違うことを指摘。般若心経は人々の祈りや願い、さまざまな想いが込められた懐の深いお経。厳密な定義を求められる学問とは違い、「優しいうやむや、ステキなうやむや」で話を進めていってもいいのではないかと示唆されました。
このように「空」ひとつとっても、それぞれが独自の表現をされていました。しかも宗派としての見解を解説するのではなく、自身が僧侶として生きるなかで感じたことを、丁寧に言葉を選んで語られていたのが印象的でした。
般若心経は理論を越えていろいろな解釈を許すスペースがあるからこそ、世界中の仏教徒に読まれていることが納得できました。
今回のトークイベントは知的エンターテインメントとしても楽しめ、また真面目な仏教の学びの場でもありました。すごく面白かったです!
思えばこれだけの宗派のお坊さんが一堂に会して、ざっくばらんにお経を語り合うのは、ほとんどなかったことではないでしょうか。貴重なイベントを企画・運営された出演者、スタッフ、ボランティアの方々に、感謝いたします。
※今回は一参加者として聴講したため、録音をしていません。メモを頼りに執筆したため、聞き違いや、思い違い、理解がいたらないため不備があるかもしれません。もし訂正などありましたら、ご連絡いただければ、すぐに対応いたします。