「開かれた学びの場」として1999年に設立されたNPO法人の東京自由大学は、この4月に神田から自由が丘に引越して、第2ステージへと移行します。
大学の重要なテーマの一つが「仏教探求」。そこで、第1ステージの仏教探求の歩みを総括する講座として、禅僧の藤田一照さんを講師に迎えて、「身心を調えて、もって仏道に入るなり」が開催されました。
会場には80人ほどひしめき、大入り満員。
特別ゲストはチベット仏教を師について学び、関連の著書や翻訳書も多い詩人の梅野泉さん。司会は神職の資格を持つ、「京都大学こころの未来研究センター」教授の鎌田東二さん。禅とチベット仏教、そして神道が交わることで、どんな場が形成されるのでしょうか。
講座は例によって(!)、鎌田東二さんが吹かれるホラ貝(大ボラ)が場を浄めてスタートしました。
・3つの自由
まずは藤田一照さんが自由が丘に移る東京自由大学に絡めて(?)、仏教の涅槃に絡めて自由についてレクチャー。
藤田さんによると、自由には3つの側面があるそうです。
・フロム(from)
・トゥ(to)
・アヴェイラブル(available)
私たちは束縛から解放された時に自由を感じますが、それは「フロムの自由」だそうです。
そして、その後でどう生きるかという「トゥの自由」が大切だそう。これは自分の人生をクリエイトすることへの自由とも言えます。
さらに、その時に他人のために役に立つことができる余白のあるアヴェイラブルの自由こそ、より大きな自由だと説明されました。
そして、シッダールタという青年が菩提樹の下で「涅槃を得た」と宣言したことは、「自由を得た」と宣言したことではないかと投げかけます。
「ブッダは涅槃を得て(煩悩などから)自由になったことで、本当の人生を生きられるようになりました。人のために役に立つ自由を得たことで、やるべきことをやって満足して死なれたのではないでしょうか」
ブッダは悟りを得たあと、積極的に生き生きと人助けをされたという藤田さんの説は、まさに大乗的。そして、魅力的なブッダ像に感じました。
・タスク・センタードとハート・センタード
さらに道元禅師の言葉「身心を調えて、もって仏道に入るなり」を紹介され、講義は「仏道探求」の核心へと進みます。
大乗では「即」というロジックがよく出るそうです。例えば、「仏になりたいと思ったら、即なっている」とか、「思い立った時には、もう救われている」とかですね。
ですから、自分の外側にすでにできあがった仏道があってそれを探求しようとするのではなくて、探求が即仏道。
そのため学校で学ぶような日常的なアプローチで仏教を学ぶと、自分の都合にあわせて歪曲してしまうのではないかと警告されました。
私たちが学校や職場で優れているとされるのは、効率や正確さに焦点を置いたタスク・センタード(task-centered)です。でも、そうでなくてハート・センタード(harte-centered)であることが大切なのではないかと指摘され、梅野さんにバトンを渡しました。(ここでいうハートとは、菩提心や発心と捉えることができるそうです)
・梅野泉さんのお話
ゲストの梅野さんはポエトリーリーディングをまじえながら、情感豊かに言葉を紡ぎます。
藤田さんのタスク・センタードとハート・センタードの話題を受けて、チベットの2つの心を紹介されました。
チベットの人たちは生産しないかわりに、心を調べ尽くした民族だそうです。
タスク・センタードに相当するのがセム(ふつうの心=煩悩の心=曇った心)。それに対してハート・センタードに対応するのがセムニー(まるい心=心の本質=青空の心)です。
“今ここ”の思いをストレートに伝える梅野さんのお話は、まさに如意自在。聞いている私も時間や空間の感覚が薄くなり、青空の広がるチベットの高原から、意識の深遠まで、あらゆる領域に誘われました。
・対談
それぞれの講義が終わると、司会の鎌田さんが加わり対談の時間です。
まず鎌田さんが、二人の話を聞いて共感したポイントは詩にあったと語られました。
そもそも鎌田さんは日本最高の詩人は、藤田さんの講義で紹介された道元禅師だと思われているそう。そして梅野さんの話を聞き、チベット仏教の全てが詩であると納得されたそうです。
東京自由大学は霊性の探検を大きな柱とされていますが、「その霊性とは、詩だと考えることができるのではないか」と提示します。
さらに、「詩と自由は繋がっているが、意味付けはタスク・センタード。詩を理解するにはミーニング(意味、趣向)も必要だが、そのためには知性の働きもより繊細になっていかないと伝わらない」と指摘されました。
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藤田さんがそれを受けて、ポエムのもともとの語は「自然が人間に与えてくれるもの」、「自然からの贈り物」という意味合いがあり、その対になる言葉はテクノロジーのもとになったテクネ(技巧)であると解説。
そして、仏教やヨガなど古代的なことを、現代人の身心で自然を忘れてテクネでやろうとしても、無理があるのではないかと提起されました。
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それを梅野さんが、講義で取り上げた詩の最後の一行
「古代と未来をつなぐあたらしい時間が発見されるときは近い」
と重なっているのではないかと指摘され、私たちが古代的密接感を持つには、自然や、自然性の豊かな人と接することが大切だと締められました。
その後、参加者との質疑応答を経て講座は終了。
司会の鎌田さんがお二人に最後のまとめを求め、まずは梅野さんが即興で一行の詩を、おごそかに花を摘んで空に掲げるような動作とともに、披露されました。
「この荒れた野に咲いた、小さな一輪の花、摘むのは誰——————?」
それは参加者の一人一人が、今日の講座で得た何かを思い出させるような、余白のある(アヴェイラブル?)締めでした。
そして最後は、藤田さんの一本締めでお開きに。
三者の智恵がゆるやかに混ざり合う、仏教探求総括の名にふさわしい講座でした。
新鮮な発見も多く、あっと言う間に3時間がすぎました。
東京自由大学は神の田から、自由の丘への移転に合わせて、スタッフも若返りをするそうです。さらに仏教関係の講座も充実し、仏教探求の旅はまだまだ続くことでしょう。
※今回の講座は録音禁止のため、講義中にとったメモを参考に執筆しましたので、聞き違いや、記憶違いなどがあるかも知れません。一人の参加の感想としてお読みいただければ幸いです。