コマメディア 〜史上最弱の仏弟子コマメ〜

仏教瞑想実践者のライター・森竹ひろこ(コマメ)が、仏教&瞑想関連の話題を広く紹介。なにかがきっかけで、仏教とご縁がつながると嬉しいです。……最弱なのでおてやわらかに!

【報告】「パーリ仏典を学ぶ会」に参加して、片山一良先生の渾身の法話をお聞きしました。

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1月に都内で行われた、駒沢大学教授・片山一良先生が講師を務める「パーリ仏典を学ぶ会」に参加しました。

 

片山先生はパーリ仏教研究の現役の第一人者であるとともに、曹洞宗の僧侶です。パーリ仏典の長部・中部全巻の現代語訳という偉業をなされ、一般向けの仏教書も多く執筆、またNHKラジオの「宗教の時間」では仏典の解説を担当されました。日本でブッダの教えを学ぶ人にとっては、その業績から恩人の一人といえるのでははないでしょうか。

 

「パーリ仏典を学ぶ会」は、前身の会から30年近く(もしくは、それ以上)続いているそうです。この日の参加者は30人ほど。開始当時から続けている大ベテランさんから、片山先生の大学の学生、OBなど、年齢は20代から80代まで広いのですが、先生に師事し、実践を続けている有志の集まりだけに、アットホームな一体感がありました。

私は会のメンバーである法友さんのお誘いにより、参加の機会をいただきました。 

 

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充実した資料、そしてお菓子の差し入れもいっぱい!ありがとうございました。

 

プログラム

・挨拶、三帰依、五戒

・法話「人身受け難し」

・休憩

・パーリ経典 中部「小像跡喩経」

・法談、挨拶

 

 

 会場に入ると、すでに片山先生は教壇の椅子に坐られ、目を閉じて黙想をされていました。参加者もお話は必要最低限にして、黙想して心を静めています。さらにプログラムの始めには三帰依や五戒文が唱えられ、この会が単に知識を学ぶだけでなく、仏教の精神性を大切にしていることがうかがえました。実際、先生は法談では、経典を読んで心の糧にすることと共に、坐禅瞑想をして心を静めることの大切さを伝えられていました。

 

法話では、いつも心に留めておく言葉として、ダンマパダ(法句経)の第182偈「人身受け難し」を紹介されました。

 

「人身受け難し」 ダンマパダ 第182偈

 

人間の身は受け難く

死すべきものは生き難い

正しい法は聞き難く

もろもろの仏は出現し難い

 

先生はこの偈を

智慧を開発できる存在である人間に生まれるのは大変に難しい、

全ての生き物にとって命を長らえるのは容易ではない、

正法(正しい法)を聞いても常識や慢心がじゃまをして、自分のものにするのは難しい、

悟っている人や、正しく知る人は現れ難い、

と説明されました。そして、だからこそ私たちは無常を知り、そのなかで正しい智慧を汲み取っていかなくてはならないと説かれます。

 

先生は体調をくずされていたそうで、半年ほどお休み後の再開ということもあるのでしょうか、言葉の一つ一つに、まるで魂を宿らせるかのように念いを込めて語られていました。先生の知見が凝縮された、まさに渾身の法話でした。

私も自然と「一言も聞き漏らさないぞ」という気持ちになり、深く耳をこらして拝聴しました。

  

先生は「仏教の大事な教えは、無常のなかにある」と説かれ、法話では何度も「無常」という言葉を口にされました。そこで、そのエッセンスの詰まった、法話の最後の部分を書き起こしましてみました。少しでも法話の雰囲気が伝わればいいのですが。

 

仏教の大事な教えというのは、やはり無常のなかにあります。「永遠の今」という言葉が使われたりしますが、それは今が一番大事だということですが、ただの刹那主義ではないんですね。

今に生きるということの主旨は、無常を知るということです。物事は常に変化しているということです。変化の中に全てがあるということです。それに対応する考え方は、変化を知るという智慧を持つことですね。

 

生病老死というのは、私たちの苦しみを代表する言葉です。生まれが苦しみであり、病いが苦しみであり、老いが苦しみであり、死が苦しみである、と説明されることが多いですが、全部変化のなかにあるものばかりです。

それを私たちは、一部分の生まれを見、一部分の病いを見、一部分の老いを見、一部分の死を見て、ああこれは生病老死であると見ていきます。でも、そうではない見方があるのです。その根幹にあるものは全部、変化している生まれであり、変化している病いであり、変化している老いであり、変化している死であるということです。

 

じっとしている時には、変化しないと思ってしまうのが私たちですが、なにか問題があったら、それも変化のなかにあるものだと思えば、いつの間にか解決がつくのではないでしょうか。そのように無常を実感として得られれば、もう仏教は吸収できたということになると思います。

 

ですから、みなさんがなにか問題を抱えておられるとすれば、大きければ大きいほど、無常で精進をされればいいのではないでしょうか。「無常でどんなものも変化するのだ」と見ていただけたら、問題の根本は解決されると思いますね。

 

 

 

その後、休憩をはさみ、片山先生によるパーリ経典「小像跡喩経」の解説がありました。毅然とされていた法話の時とは少し変わって、穏やかな表情で話される先生。先生を敬い熱心に聴講するメンバー。教室は終始、静かでありながら、学ぶことの喜びがあふれているようでした。

 

30年も続く仏教の勉強会。法談では、自分の健康に関する質問や、死に対する怖れから、ウォーキングで昔ほど無理がきかなくなった報告まで、幅広い話題が参加者から出ました。先生も会員の方々も共に人生のひと時を重ね、病みや、老いも経験しながら学んでいく……これはもう、まがう方ないサンガですね。日本における在家を中心としたサンガの理想的な在り方に出会い、胸がアツくなりました。

会を長く真摯に続けてこられた片山先生と会員の方たちには、背筋を伸ばし深々と頭を下げたい思いです。

 

 

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